翻刻
【右帖】
御寵愛浅からす国松殿十四歳の時大坂の軍起る御母上
国松殿を近つけ参らせ殿はまさしき故中納言殿の御子
大御所の御孫にて渡らせ給ふ栴檀は二葉よりかうはしと
こそ承れ弓矢とる家に生れ既に十歳に余らせ給へは
今度いかなる高名をもきはめて大御所の御感に預らせ
たまへあひかまへてきたなひれて人にうしろゆびな
さゝれたまひそ御父は聞ゆる大将なれと賤しき者の
腹にやどらせたまひし故にかゝる不覚もあれなどいはれ
たまはん事口惜かるへき御事に候ぞやみつからいかに
女なり共さすが高名をもせさせたまはぬなど伝へ聞侍らば
【左帖】
いきて再ひ逢参らすへしとも覚へすと涙と共にかきくときて
軍の御装ともかひ〳〵敷取したゝめ出し立まいらす慶長
十九年十二月四日のあした越前の軍勢加賀の兵と先を
あらそつて真田か城を攻し時国松殿まつさきをかけ給ひ
天下に名をあけ給ひけり明れは元和元年五月七日の戦
にもみづから太刀打して首とつて献らる同九年越前
国大野の城を賜ひ《割書:五万石それよりさきは大野のおく|このもとと云所三万石舎兄よりわかたる》寛永十二年
信濃国松本の城にうつる《割書:十万|石》十五年出雲の国を賜ふ《割書:十八|万石》
隠岐国を預けらる《割書:一万八|千石》はしめ出羽守従四位下より侍従
を歴左少将正四位下に至て寛文六年二月三日六十六歳