翻刻
【右帖】
にて卒せらる嫡子綱隆童名久松丸慶安四年
十二月廿六日元服し御諱字たまひ従四位の信濃守
に任し家を継し事侍従出羽守と成り延宝三年
閏四月朔日に卒す年四十二才其子綱周延宝元年
十二月元服し御諱字をたまひ従四位下甲斐守に
任し家つぎし年に侍従兼出羽守になる
上野介近栄は直政朝臣の二男出雲国広瀬の地を
わかたる《割書:三万|石》其子式部少輔近時
右近太夫隆政は直政朝臣の三男出雲国神戸の地を
わかたる《割書:一万|石》寛文十三年二月六日卒して世嗣なけれは
【左帖】
舎弟美作守直高をもつて家を嗣しむ直高は直政朝臣の
四男とそ聞えし
侍従直基朝臣は中納言殿の第五男也むまれ給ひしより
左衛門督晴朝とりて養ひ参らせ結城五郎八と名つけ片桐
の館にひとゝなり給ひぬ《割書:片桐は越前地の名晴朝の|すみたまひし所なり》晴朝
年老て中納言殿にをくれ参らせふかく歎きたまひ
けれと此御孫をそだて参らするにうきをわすれて明し
暮し給ひしか慶長十九年七月廿日八十一歳にて卒し
たまひぬ抑結城の家と申は藤原秀郷十一代の後胤
結城七郎朝光より始る晴朝は朝光か十六世の孫也