伊那市×みんなで翻刻

コレクション: 内藤家資料 (1) 2

藩翰譜(一) - 翻刻

藩翰譜(一) - ページ 53

ページ: 53

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【右帖】 にて卒せらる嫡子綱隆童名久松丸慶安四年 十二月廿六日元服し御諱字たまひ従四位の信濃守 に任し家を継し事侍従出羽守と成り延宝三年 閏四月朔日に卒す年四十二才其子綱周延宝元年 十二月元服し御諱字をたまひ従四位下甲斐守に 任し家つぎし年に侍従兼出羽守になる 上野介近栄は直政朝臣の二男出雲国広瀬の地を わかたる《割書:三万|石》其子式部少輔近時 右近太夫隆政は直政朝臣の三男出雲国神戸の地を わかたる《割書:一万|石》寛文十三年二月六日卒して世嗣なけれは 【左帖】 舎弟美作守直高をもつて家を嗣しむ直高は直政朝臣の 四男とそ聞えし 侍従直基朝臣は中納言殿の第五男也むまれ給ひしより 左衛門督晴朝とりて養ひ参らせ結城五郎八と名つけ片桐 の館にひとゝなり給ひぬ《割書:片桐は越前地の名晴朝の|すみたまひし所なり》晴朝 年老て中納言殿にをくれ参らせふかく歎きたまひ けれと此御孫をそだて参らするにうきをわすれて明し 暮し給ひしか慶長十九年七月廿日八十一歳にて卒し たまひぬ抑結城の家と申は藤原秀郷十一代の後胤 結城七郎朝光より始る晴朝は朝光か十六世の孫也