伊那市×みんなで翻刻

コレクション: 内藤家資料 (1) 2

藩翰譜(一) - 翻刻

藩翰譜(一) - ページ 54

ページ: 54

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【右帖】 けり《割書:一説に朝光は右大将|頼朝の御子とも申也》世々下野国結城の地を領し関東 八家の一ッ也晴朝に至り世嗣なく豊臣太閤の仰にて 秀康卿養ふてよつきとす秀康卿又此直基朝臣して 其家をつがせ給ひける寛永三年八月十九日従四位下の 大和守になされ結城改めて松平と名乗其後侍従に 任し寛永十二年十一月廿二日越前の大野の城を賜ふ 《割書:五万石是よりさき兄予州よりわたくしに|所領の地をわかちあたふとなり》正保元年正月十一日出羽国 山形の城に移り《割書:十五万石一説|此時は十万石》慶安元年六月十四日播磨 の姫路の城にうつりて《割書:十五|万石》程なく八月十五日四十五歳にて 卒す其子息藤松丸家をつき明る慶安二年六月九日 【左帖】 越後国村上の城に移る《割書:本庄ともいふ也|知行もとのまゝ》成人して従四位下 の大和守より侍従にいたる寛文七年ふたゝひ姫路の 城にうつる 侍従直良朝臣童名長光丸中納言殿の六男也寛永 三年八月十九日従四位下土佐守にそ任じける正保元年正月 十一日越前大野の城を賜ひ《割書:五万石を領すこれより先キは|舎兄わたくしに所領の地を分つ》其後 侍従兼但馬守に任し延宝六年六月廿六日七十五歳 にて卒し子息若狭守直為は寛文九年十二月 廿五日叙爵延宝三年十二月廿七日従四位下に叙し 父卒して家をつく