翻刻
【左帖】
尾張
大納言義直卿は《割書:はしめは|義利》大御所第九の御子御童名
五郎太丸慶長八年正月廿八日御年四才の時甲斐国を
参らせらる同十一年八月十一日御元服有て徳川右兵衛督殿
と申従四位下に叙し十二年閏四月廿六日尾張国を賜
《割書:美濃信濃合て六十一万九千五百石余○ある人いはくはじめ大御所の|御時に右兵衛督殿常陸介殿おなしく五十万石の地を参らせらるその時》
《割書:隣国の人々をつけらる是を寄騎衆と申せし也後に常陸介殿紀伊国へ|移り給ふ時地くはへられて五十万石余を領し給ふ此時三河の国にして》
《割書:寄騎衆につけられしは皆国にとゝまりぬかゝる所に尾張家のおとな成瀬|隼人正関東に参て尾張家も地くはへ給ふへきよしをうつたふ》
《割書:将軍家の老中これを聞て常陸殿は国うつさせ給ふか故にこそ|地くはへられ給ひたれ尾張殿の地くはへられ給ふへき故なしといへは》
《割書:さらはいつちへなり共国うつし地くはへ給ふへしまさしき御兄の家|として御弟より所領すくなからん事天下のあさけりをまねくに似たりと云し》