翻刻
【右帖】
《割書:かはその事となく五万石の地くはへられぬ其後主上二条の亭に行幸ありし時|諸大名軍の賦役によつて武士をもつて路次の警衛す此時尾張家には寄騎の》
《割書:領を合て六十万石余の役を以てすその地をうく紀伊家の家人いきとほ|りし事今は寄騎の人々もなしいかにもすへきやうなく此よしをうつたへん》
《割書:とす紀伊殿きこしめしその事ゆめ〳〵しかるべからす一人も役夫多からんは|天下の御為にこそあれと仰られし此時より尾張紀伊の知行高下出来しと》
《割書:まこと|にや》十四年十一月大御所の仰にて当国名護屋の地よせらる
是は清洲の城をうつして義直卿の御座所となさるへきため
なりけり十五年閏二月廿七日天下の大名名護屋の城築べきよし
を仰下され同六月三日より事始あり秋九月経営成て諸大名
国々に帰る十六年三月廿日参議従三位右中将を兼らる
同六月朔日より伊勢美濃等の大名又名護屋の城を築く
十九年の秋大坂の兵起りしかは十月三日大御所白旗並に
【左帖】
引両の幕給ひ尾張国に至り軍勢を催し《割書:此時は駿河|にまします也》大坂
に向ひ大御所にしたかつて陣し東西御和睦の後名護屋に
帰りたまひ北の方御入輿の事あり此時大御所と名護屋に
入らせ給ひしか大坂の兵ふたゝひ起ると聞し召爰より
直に攻上らせたまひぬ五月七日の合戦将軍の御手より
軍始り先陣あらそひすゝみ戦て敵こと〳〵く亡ひし
かは尾張殿軍したまふに及はす中納言を歴て従一位の
大納言にのぼり慶安三年五月六日五十一歳にてかくれ給ひ
ぬ御子中納言光友卿従四位下右兵衛督より次第に歴の
ぼりて正三位中納言に至り寛永十六年九月廿一日将軍家の