翻刻
【右帖】
頼将先陣をたまはらさりし故に今日の戦にあはす返す〳〵も
口惜く候とて御涙にむせひたまひしかは松平右衛門大夫正綱
殿はいまた御年も若く渡らせ給へはかゝることには幾度も
あはせたまひなんずさのみな恨申させたまひそと申せしに
此殿もつての外に御気色損しやあ正綱頼将か十四歳
にあふ事ふたゝひやあるべきと仰けるに大御所これ【ヵ】に御嬉し
げにて今日頼将かいかなる軍したらんより只今の一言
こそ高名なれと仰あれは水野日向守勝成細川越中守忠興
を始として御前伺候の大名小名御内外様の人々是を
聞て虎の子は地におつれは牛をくらふ気ありといふ
【左帖】
本文ありあなおそろしの御心やと皆舌をそふるひけり元和
五年紀伊国を賜ひ和歌山の城にうつり給ふ《割書:伊勢の国を|そへて五十五万》
《割書:五千石|といふ》宰相中将従三位を歴て中納言に任し従二位の大納言
に至り寛文六年五月廿二日に国譲り給ひ同十一年正月
十日かくれさせ給ふ御年七十才御子五人長は中納言光貞卿
次に左京大夫頼純その次は松平左兵衛督藤原信平の北方
其次は松平相模守源光仲の室末は男子にて早世し
たまひぬ《割書:修理殿と申す|四才にて早世也》光貞卿の御嫡子は右中将綱教
朝臣と申し奉る
左少将兼左京大夫頼純朝臣は頼宣卿の御二男寛文十年