翻刻
【右帖】
の嗣としたまふ是は兄なれと頼重の家つきたまはぬを本意
なく思ひたまひし故とそ聞えける頼世四位少将兼左衛門督に
任し寛文十年正月廿二日廿三歳にて世をはやうし
給へは頼重朝臣の二男を養ふて嗣とせらる四位少将
に任し綱条と申しまいらす
左少将兼讃岐守頼重朝臣は頼房卿の長子なれと
いかなる故にか御子ともし給はす寛永十五年将軍家
よりめして叙爵させ右京大夫になさる《割書:松平と|称す》十六
年常陸国下館の城賜ひて《割書:五万|石》十九年に讃岐
高松の城にうつさる《割書:十二|万石》従四位下侍従より左少将に
【左帖】
任し讃岐守となる寛文十三年二月十九日家をゆつり
竜雲軒と号す水戸の参議の御子して家つがせ
らるはしめ四位侍従兼右京大夫家譲られて讃岐守
に任し頼常と申す
侍従兼刑部大輔頼元朝臣は頼房卿の三男光圀卿所領
の地わかちあたへらる《割書:二万|石》嫡子は従四位下大学頭頼貞
二男は本多中務太輔藤原政長の養子と成る中務太輔
政武と申す
侍従兼播磨守頼隆朝臣は頼房卿の四男光圀卿
所領の地わかちあたへらる《割書:二万|石》其嫡子右近大夫頼良早世し