翻刻
【右帖】
にこもる信忠をし寄て攻給ひ仁科すてに討れしかは
正直叶はす城を出て東をさして落去りぬことし六月織田殿
父子うせたまひて甲斐信濃上野の国々ふたゝひ乱る
正直北条左京大夫氏直の案内者として信濃国にうち
入て高遠の城に帰り入徳川殿も彼国にそ御勢を
むけられ甲斐の国府にうち入て北条と戦ひ給ひし所
北条の軍つゐに利なく彼国々の侍ともこと〳〵く
徳川殿に随ふ正直も酒井左衛門尉忠次につきて御方
に参りしかは御書給わつて本領を安堵す《割書:此時正直|越前守》
同国小笠原右近大夫貞慶か徳川殿たのみ奉て累代の
【左帖】
本領深志の城に入なから心替りし北条にくみして塩尻
に陣取しに正直をし寄戦て首余多切て参らす
御書賜て其功を賞せられ御刀そへ下し給ふ《割書:創業記に|出川家忠》
《割書:日記には天正十三年十二月三日小笠原の貞慶三千人をひきゐて高遠の城|をせむ忠直ふせき戦て勝事を得たり御恩賞に御刀を賜ふその》
《割書:御書に十二月十四日弾正殿へとあそはされしと云々しかれは小笠原はしめ|北条にくみせし時の軍にはあらす此後貞慶秀吉朝臣にくみせし》
《割書:時の事也両説同しからすたゝし正直両度貞慶と戦ひしや又弾正へと|あそはされしならは後の軍は父の弾正忠正俊にたまひしにや》
同き十二年九月正直仰を承て御方の人々と木曽の郡
妻籠の城を攻秀吉後番せよとて多勢をむけらると聞
えしかは御方は引て帰らんとす敵あとをしたひて進来る
正直後陣にさかつて敵の勢を追払ひ難なく引てそ