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【右帖】
帰りける十三年閏八月真田城をせむ御方利なかりしに
よつて正直も引返してをのか城に帰る徳川殿関東に
移りたまひし時下総国多古の地賜つて慶長六年とし
六十歳にして卒しけり《割書:一万石按するに家忠日記に関東へ移|たまふ時保科甚四郎正光後に》
《割書:肥後守といふ下総の内にて一万石を賜ふと|しるす誤れるに似たり此時正直存生也》初め正直長子正光《割書:童名は|甚五郎》
二男正重《割書:靭|負》まうけて妻をうしなひしかは徳川殿
異父同母の御妹を給て彼妻となされ《割書:久松佐渡守の長女也|はしめ松平与八郎》
《割書:に嫁して内膳正家広をまうけ給ひ忠正死して忠正の弟与次郎忠吉|の妻となり阿波守信吉左馬允忠頼をまうけらる忠吉もまた死しぬれは》
《割書:保科か許に|ゆき給ひけり》男子二人女子四人をまうけこれ皆徳川殿の
御外甥御外姪にそありける《割書:系図に|詳也》長子なれは正光家を嗣
【左帖】
従五位下に叙し肥後守に任す関ヶ原の戦には遠江国浜松の
城を守り《割書:堀尾信濃守|忠氏か城也》軍散して後越前国北庄城を守る
《割書:青木紀伊守|滅しあと也》ふたゝひ高遠の城を賜て移れり《割書:三万石○按するに|城主譜に慶長》
《割書:六年としるす諸伝記には此年賜ひし事見へす高遠城は京極修理大夫|兼領せし所也修理大夫此年丹後を賜てうつれる上は正光此時たまはりし事》
《割書:うたがふ|べからす》大坂の兵起りしには初に山城国院を守り後に大坂に
来りて城をせむふたゝひ兵起りし時大御所にしたがひ
軍し首十四きつて献る正光嗣なかりしかは幸松丸殿
を養君とし参らせたり《割書:台徳院殿大相国第三の御子御母は|お静の御方浄光院殿と申せし御事也》
《割書:幸松丸殿生れさせたまひて武田万千代殿の御母見性院殿子として養ひ|給ひしを正光又やしなひ参らせしと聞えし正光徳川殿の実の御》
《割書:外甥にあらねと御妹の御子の|列なれは御ゆかりなきにあらさる歟》正光卒しぬれは《割書:卒せし年月日|詳にせす》