翻刻
【右帖】
幸松丸殿その家をつき元服したまひて従四位下肥後守
正之朝臣とそ申ける寛永十一年侍従に任し十三年
七月廿一日出羽の国山形の城を給る《割書:二十万石○正之朝臣に|山形の城賜はりしさきに》
《割書:将軍家御鷹狩の為に目黒の辺に成らせたまひ御供四五人召供せられ|成就院と聞えし寺に入らせたまひしに住持の僧頭巾引かつきて》
《割書:垣ゆひて居たりけり将軍家こゝかし候へ休みさふらはんと仰られしに|住持の僧人々はいづくより参らせ給ふととへば将軍家の御供の者》
《割書:なりと仰らるつかれ給ふらん心しづかにおやすみあれとて請し入奉りて|僧は内に入らんとせしをお僧こゝにまし〳〵て御物語りあれと仰けれは》
《割書:打むかひうつくまり居る客殿の壁にこと〳〵く菊をいろとり絵かける|事つたなき工の絵かけるとも見えす将軍家かゝるかたいなかのお寺には》
《割書:めつらしき結構に候いかなる檀那のわたり候と尋ねさせたまへは|のたまふやうにこゝは江戸遠きさかひなれは然るへき旦那とてもなし》
《割書:保科肥後守と申その御母上かつねには祈禱の事などをたのみあれと|それも家まづしけれは布施の物ゆたかならすといへはかれはまづしき》
《割書:事候其外にも侍るやらんと仰せらるいやその外にあるは皆数にもあらぬ|人々なりこれに渡り給ふ人々も将軍の御家人と承れは申も恐れなれど》
【左帖】
《割書:あの肥後守殿と申は今の将軍家のまさしき御弟と承るにわづかの地領し|まづしく渡らせたまふこそいたはしけれさらぬいやしき者も兄弟の》
《割書:したしみふかきは人のならひなるにいかなれはよに人はなさけなきものに|候らんといひしに御顔の色すこし損じさせ給ひて御供の人々を》
《割書:きと御覧していざまかりなん上様にもはや還御ならせたまふべき|程也とてつと御出あれは人々はお僧のなさけ故足やすめて候又こそ》
《割書:参らめとてうち出ぬしばしかほと過て御供の人々むらがり来て|上様はいつくへならせられしぞととふに住持の僧は我々上様の御事》
《割書:はしらす御供の人とて今迄是に御やすみありきといふそれこそ上様|にてあれといはれて驚きあなかなしやいかなる罪にやあふと一月》
《割書:斗がほとは門のほとり足音たかく人の過るにもたましゐをけす|程なく正之朝臣へ多くの地つけて山形の城参らせられ又目黒の》
《割書:寺にも其事となく地寄附させたまひし也此御代には御鷹狩|に事よせられていやしきものゝうれへなけきの事ともしろしめし》
《割書:めぐみほどこさせたまふ事いくらもありけりとて|其時御供にさふらひし人の子息のいひしを能承りき》正保元年正月
十一日奥の会津に移り《割書:二十三|万石》同き二年四月廿一日従四位下
左少将慶安四年の夏に左大臣家《割書:大猷院殿の御事|後皆これにならへ》かくれ