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申候間追付御左右を可仕候与御請申候て島原へ
急参候得共其印も終になかりけり
耶蘇制罰記朱書入曰板倉重政重昌之末葉之衆申
されけるは松平伊豆守信綱之板倉重矩江之挨
拶阿部豊後守忠秋之取持之躰何方に而承りけ
様には書たると申された連は聞誤りたるにや且信
綱は板倉重勝与近き縁者也如何有之つるや重
昌之種物も少之事之由申されたり軽き事也被
振廻にもあるか連たるよし引込保養之内ならは
争か 仰付くる扁きか忠秋も肝煎申上らるべき
やと重昌之子孫之衆申されたる也
又曰信綱嫡子甲発輝綱は板倉重家之壻也
依之重矩御暇之儀忠秋肝煎せらるゝ様に与之
事也
太平将士美談曰島原一揆之時江戸へ始而注進有り
ける日大久保松蔭へ若輩之物語に彼百姓等如何
働き候而も程之知連たる事に候与事もな希にいひけれ
は松蔭打笑てさればとよ彼子子は小虫なれ連
共蚊尓化して群る時は人足か為にくるしむ此度之
一揆何事かあらんとは去とは若気之至りに而候御