キリシタン関連史料を翻刻

コレクション: コレクション1

切支丹御退治記 49巻. [2] - 翻刻

切支丹御退治記 49巻. [2] - ページ 66

ページ: 66

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 申候間追付御左右を可仕候与御請申候て島原へ  急参候得共其印も終になかりけり 耶蘇制罰記朱書入曰板倉重政重昌之末葉之衆申  されけるは松平伊豆守信綱之板倉重矩江之挨  拶阿部豊後守忠秋之取持之躰何方に而承りけ  様には書たると申された連は聞誤りたるにや且信  綱は板倉重勝与近き縁者也如何有之つるや重  昌之種物も少之事之由申されたり軽き事也被  振廻にもあるか連たるよし引込保養之内ならは  争か 仰付くる扁きか忠秋も肝煎申上らるべき  やと重昌之子孫之衆申されたる也 又曰信綱嫡子甲発輝綱は板倉重家之壻也  依之重矩御暇之儀忠秋肝煎せらるゝ様に与之  事也 太平将士美談曰島原一揆之時江戸へ始而注進有り  ける日大久保松蔭へ若輩之物語に彼百姓等如何  働き候而も程之知連たる事に候与事もな希にいひけれ  は松蔭打笑てさればとよ彼子子は小虫なれ連  共蚊尓化して群る時は人足か為にくるしむ此度之  一揆何事かあらんとは去とは若気之至りに而候御