翻刻
ハいかにと皇朝の事を委敷申て何角尋問致し候
よし此島漂客ニ和製の品を形見とて懇望せし故
寅吉有合の日本仕立の胴着壱枚与へけれハ返礼之
ため銀子幾許呉候故辞退して再三返しけれとも
強く勧メ呉候ゆへ難黙止してもらひ候由此香港
に四月四日迄凡日数四十日計り裁縫屋方に食客と
なつて滞留セし内方々ゟ競ひて毎日呉るよし亦
ビシヨク漂人ニ諭して徒らに遊はんより我方に手習
子供数多あり我教導せんと勧メ呉候得とも漂人等
横文字を習ひ得て御咎あらかんと安事て兎や角
と排して習わざりしが毎度の勧め難黙止若年の
吉松左蔵両人を漂客等勧メて毎日裁縫屋よりて
払良察寺院え手習に通わセ必横文字をバ習べか
らず本文字を習ふべしと申含て遣りし由なれとも
何分心中ニ御咎を恐る事故只徒らに□□□して
文字を書覚不申候由唐土の手習小児は朝ゟ昼迄は
頻に素読して声枯る時は水を喫して無寸暇
勤学し昼より晩迄は手習油断セす一励ミ候よし裁
縫屋下男の書なりとて漂人等扇面の書を銘々持
帰り有《割書:下男の書にして
達者に相見申候》裁縫屋の主初メより一方ならず心
添致呉候ゆえ思ひの外に此人の影にて帰朝念願早
く叶ひしなり寅吉先年江戸着の節求ル百人一首
再此節迄持合セ有しを礼謝の心ニ而裁縫屋某え与え
けれは其返礼に掛物一幅呉候由にて持帰りあり
此掛ものハ画なり清帝の染筆之よし
本日裁縫屋方にて英夷の咄しに我ら先年日本の
天保某という年通商願に日本の都府え至りし
が御製禁厳敷して浦賀を追帰され薩摩の沖