翻刻
に至り碇泊セしが薩摩より雨の降がごとく大筒
を打掛たり其軍兵の中にも十人計りの武者
一様ニ銘々大筒を壱挺ツヽ脇はさんで腰切り海中
に入ながら火蓋を切て打掛たる車輪の如き炎
頭上に烈敷飛来りし故我等不溜して碇りを
切捨て遁帰りたる事あり扨々日本にハ大力なる
人数多有る国なりと恐怖して話しける故漂人等
我日本には大筒を提て打が如きハ大力とは不言
珍しからぬなりといゝければ弥舌を巻て恐怖致
候よし本人曰此大筒といふは真田流の紙筒を提
たるにはあらしか
此裁縫屋某兼而漂客の身の上を心配し此所は
日本え通舟無き地なれ漂人等いつ迄便宜を待□
帰朝の期有へからす/乍浦(テンミン)の地は日本え通行の
港なれば便を頼んで乍浦の地迄送り届んとの由
兼而イキリスと/払良蔡(フランス)との両館え便船を頼ミ置し□
にて其四月四日同日に両館ゟ明日/上(シヤンハイ)海迄の出船有と
いふ書翰一時に到来せし故何れえ乗船して可ならん
と聞しにイキリス船ハ鴉片商船にて途中諸方え
碇泊可致との事亦フランス船は/上海(シヤンハイ)辺直着なり道中
遅滞セさる様子殊ニビシヨクも乗船なり上海え可至との
事也し故イキリス館にハ乍気毒断り払郎察船江
乗りビシヨク諸とも四月五日/香港(ホンコン)を開帆し洋中数日
走てマニラといふ島え船掛りビシヨクに伴もわれて一ツの
寺院え至る
此舟中にても数日の間種々ビシヨクより厚意の
世話を受たりしよしビシヨク漂客え申而是ゟ
直に各を日本え送り届けんハいと安き事なれとも