翻刻
【右丁】
症(せう)となる事(こと)をもしらずこ是(これ)身(み)しらずの愚人(ぐにん)と申
物(もの)に候 主君(しゆくん)の為(ため)に命(いのち)を果(はた)すは武士(ぶし)の常(つね)なり愚痴(ぐち)
病(やまひ)より虚労(きよらう)労疫(らうゑき)し命(いのち)をはたし主君(しゆくん)へ何(なに)と申
訳(わけ)相立(あいたつ)哉(や)恥辱(ちじよく)何(なに)を以(もつ)て免(まぬ)かるべき弓馬(きうば)鎗剣(そうけん)
抔(など)極意(ごくい)に。 〽誠(まこと)なるこゝろは物に(もの)に染(そま)ざりし我(われ)より
なせる敵(てき)をしづめよ。 又〽よしあしの色(いろ)に心(こゝろ)の
そまらずば柳(やなぎ)は緑(みどり)り【衍】花(はな)は紅(くれな)ひ。 〽挽(ひか)ぬ弓は(ゆみ)はなさぬ
真(しん)の知恵(ちゑ)の箭(や)はあたらず然(しか)もはづれざりけり。
と有(あ)り如何(いかゞ)免許(めんきよ)せられしや皆(みな)我(わ)が心内(しんない)の敵(てき)
の為(ため)に悩(なや)まされ恥辱(ちじよく)を取(と)らなくなり又(また)内方(ないほう)
【左丁】
抔(など)も近来(きんらい)は最早(もはや)両(りやう)三人も年子(としご)出生(しゆつせう)致(いた)し候由これ
全(まつた)く色(いろ)におぼるの証拠(せうこ)に候また産後(さんご)抔(など)はしばらく
交(まじわ)りも出来(でき)不申(もうさず)候得ばその砌(みぎり)は誰(たれ)はゞからず忍(しの)び所
抔(など)へも参(まい)らる由(よし)是(これ)武士(ぶし)にあらず為主君(しゆくんのため)戦場(せんぢやう)へ出(で)るに
女(をんな)を供(ぐ)せらるゝや又(また)近(ちか)き頃(ころ)は物覚(ものおぼへ)あしく兔(と)角(かく)に逆(ぎやく)
上(ぜう)いたし手足(てあし)抔(など)冷(ひへ)候よし左(さ)もあるべく筈(はづ)に候 病気(びやうき)
の症(せう)を名(な)づけば陰虚(いんきよ)火動(くわどう)の症(せう)と申(もうす)腎虚(じんきよ)気(き)
きよのなす所(ところ)にて此(この)症(せう)は鍼灸(しんきう)薬(やく)にては聊(いさゝか)もしる
しなき死症(しせう)に候 然(しか)れども三ヶ月(げつ)五ヶ月(げつ)の内(うち)床(とこ)
につき候 様(よう)には不相成(あいならず)候 得(へ)ども何(なに)ぞ時候(じかう)に中(あた)るか