翻刻
【右丁】
主従(しうじう)両(りやう)人 打寄(うちよ)り未熟(みじゆく)の論義(ろんぎ)などいたし全(まつた)く禅(ぜん)
師(し)の慈悲(じひ)に依(よつ)て主従(しう〴〵)とも危(あやう)き命(いのち)を助(たす)かり候 得(へ)
ば命(いのち)の親(をや)とや申べく然(しか)らば報恩(ほうをん)には上達(じやうたつ)致(いた)すの
外(ほか)なく既(すで)に禅師(ぜんし)何某公(なにがしこう)へ恩(をん)をおもはゞ精進(せうじん)せよ
精進(せうじん)是(これ)報恩(ほうをん)との御 義(ぎ)ともに信力(しんりき)堅固(けんご)ならでは道(みち)は成(じやう)
じがたくと朝暮(てうぼ)主従(しうじう)語(かた)り合(あ)ひ居(をり)候
一 光陰(こういん)箭(や)の如(ごと)くにて四十八才の春(はる)に至(いた)り候 所(ところ)未(いま)だ
善(ぜん)と知(しつ)て進(すゝ)み難(かた)く悪(あく)と知(しつ)て即時(そくじ)去(さ)りがたく
只(たゞ)つとめて善(ぜん)を成(な)し悪(あく)を成(な)さず こらへて悪(にく)まず
愛(あい)せず思(おも)ひ量(はかつ)て好(すか)ず嫌わず苦楽(くらく)無(な)きにて心に
【左丁】
問(と)へば恥(はづ)る事(こと)のみ多(おう)く皆(みな)思慮(しりよ)分別(ふんべつ)を以(もつ)て成(な)すにて
拵(こし)らへものなれば皆(みな)内外(ないぐわい)表裏(ひやうり)有り古人(こじん)哥(うた)に
たゞ有(あ)りの人は其(その)まゝ仏(ほとけ)なり仏を見ればたゞ
ありの人。と のたまひ候へば繕(つくら)ひかざり無(な)く 名(めう)
利(り)名聞(めうもん)がましき事(こと)なく有(あり)のまゝこそ道(みち)成(な)るべく
と起臥(きぐわ)工夫(くふう)し折(をり)を得(へ)我(わ)が所存(しよぞん)主人(しゆじん)一 郎(らう)へ打明(うちあ)ヶ咄(はなし)
合(あ)ひ可申(もうすべく)心得(こゝろへ)居(をり)候 所(ところ)ある時(とき)主人 一郎(いちらう)野老(やらう)に向(むか)ひ其(その)
方(ほう)は最早(もはや)何(なに)も望(のぞ)みは無哉(なきや)と問(と)はれ候ゆへ大願望(だいぐわんもう)
有之(これあり)候と答(こた)へ候へば如何(いか)なる儀哉(ぎや)最早(もはや)望(のぞ)みは有(あ)るま
じく存(ぞんじ)候に大願(だいぐわん)とは如何(いかゞ)と尋(たづ)ねられ候 故(ゆへ)旦那(たんな)の