翻刻
【右丁】
者と存(そん)じ彼(かれ)が実意(じつい)をおもひ廻(まわ)せば我(わ)が放逸(ほういつ)不 実(じつ)の
段々(だん〴〵)数々(かず〳〵)心(こゝろ)にうかみ心(こゝろ)に問(と)へば答(こた)ふ所(ところ)なく我(われ)一(ひと)人か
無面目(めんぼくなく)存(ぞん)し何(なに)となく身(み)狭(せま)り心(こゝろ)置(を)き所(ところ)も無(な)きやう
の心地(こゝち)いたし扨(さて)世間(せけん)人情(にんじやう)を見(み)るに貴(たつと)きも賤(いやし)きも智(ち)
あるも才(さい)有(あ)るも広学(くはうがく)も博識(はくしき)も信(しん)の一字(いちじ)に心(こゝろ)を悉(よす)る
もの無(な)く聖賢(せいけん)神仏(しんぶつ)都(すべ)て古徳(ことく)信(しん)の一字(いちじ)を伝(つた)ふのみ
成(な)るに此(この)一字(いちじ)を失(うしな)ひ争(いか)で古徳(ことく)の心(こゝろ)実を得(う)べきや
と風(ふ)といさゝかの疑念(ぎねん)おこれば昼夜(ちうや)物事(ものごと)手(て)に付(つ)
かず病身(びやうしん)も忘(わす)れ只(たゞ)忙然(ぼうせん)として居(をり)ける折節(おりふし)八郎兵衛
参(まい)り或(ある)御屋敷(をんやしき)より秘書(ひしよ)を拝借(はいしやく)いたし候 誠(まこと)に時節(じせつ)
【左丁】
到来(とうらい)と存(ぞんじ)有(あり)がたき御儀(をんぎ)得々(とく〳〵)熟覧(じゆくらん)候 様(よう)申 写本(しやほん)一 冊(さつ)
さし出(いだ)し候ゆへ何(なに)を申 儀(ぎ)や 時節到来(じせつとうらい)とは 仰山(おこ)ヶ
間敷(ましく)心得(こゝろへ)ぬ儀(ぎ)を申 事(こと)かなと何心(なにこゝろ)なく一覧(いちらん)いたし
十四五 行(くだり)見読(けんとく)しけるに皆(みな)是(これ)信実(しんじつ)なれば仰天(ぎやうてん)し
手(て)あらひ口(くち)すゝぎ一 通(とう)り相覧(そうらん)し誠(まこと)に有(あ)り難(がた)く身(しん)
心(〳〵)に徹(てつ)しければ繰返(くりかへ)し三度(さんど)拝読(はいとく)し不思(おもわす)赤面(せきめん)し
自心(じしん)を悔(く)ひ扨(さて)八郎兵衛 飽果(あきはて)もいたさず 実意(じつい)を尽(つく)
す段(だん)骨髄(こつずい)にしみ言語(ことば)なく彼(か)れに対(たい)し只(たゞ)面(めん)
皮(ひ)なく覚(おぼ)へ右(みぎ)秘書(ひしよ)数度(すど)拝覧(はいらん)し心中(しんちう)決定(けつぢやう)致(いた)し
その旨(むね)八郎兵衛へ演説(いんセつ)し右(みき)御秘書(ごひしよ)返上(へんじやう)し我(わ)が思(おもふ)