翻刻
【右丁】
道外(どうげ)にこゝろ有(あ)らざれば 心外(しんげ)に往来(ゆきゝ)の道(みち)も無(な)し
心外(しんげ)に道(にち)を求(もと)むるは 日(ひ)の出(で)を西(にし)に待(ま)つ如(ごと)し
信力(しんりき)堅固(けんご)の勇(ゆう)無(な)くは いつか越(こゆ)べく生死(せうし)海(かい)
凡聖(ぼんせう)と成(な)る其(その)面体(めんてい)を不改(あらためず) 本(もと)是(これ)山中(さんちう)の樵夫(しやうふ)也
( きこり)
本来(ほんらい)真向(まむき)の直心体(じきしんたい) 何(いづ)れに転(てん)ずる方所(ところ)も無(な)く
一切(いつさい)万法(ぱんほう)皆如(かいによ)夢幻(むげん) 本性(ほんせう)自空(じくう)何(なに)をか取捨(しゆしや)す
( ゆめまぼろし) ( をのづから)
毫釐(ごうり)も見所(けんしょ)ある時(とき)は 生(せう)を曳(ひ)き亦(また)種々(しゆ〴〵)と成(な)る
(けのさき)
円明(ゑんめい)【注1】空(くう)の世界(せかい)には 仏(ほとけ)も住(すま)ず凡(ぼん)も居(い)ず
空王(くうおう)【注2】は是(これ)無相(むさう)【注3】の公(かた) 不 思善(しぜん)不 思悪(しあく)【注4】懈怠(けだい)せず
無性(むせう)不 思義(しぎ)の体(たい)なれば 独(ひと)り虚空(こくう)に住(すみ)給ふ
【左丁】
云(い)ひ捨(すて)しその言(こと)の葉(は)の外(ほか)なれば筆(ふで)にも
跡(あと)をとゞめざりけり
常(つね)に住(す)むこゝろの中(うち)の隠家(かくれが)を人(ひと)の問(と)ひ来(く)る
道(みち)なりける
たのむそよ もしも まとろむひまあらば ふき
驚(をど)ろかせ峯(みね)の松風(まつかぜ)
〇何某君 御遺書之内書抜
此方(このほう)事(こと)は幼少(ようせう)より武芸(ぶげい)のみ心(こゝろ)がけ書見(しよけん)のいとまなくも
ちろん不心懸にて至(いたつ)て文盲(もんもふ)也 学才(がくさい)あるものゝ人前(ひとまへ)にては
何(なに)となく恥(はづ)るこゝろ有之(これあり)後悔(かうくわい)に存(ぞんじ)候 事(こと)ども間々(まゝ)有之(これある)
【注1 理知が満ちていること】
【注2 仏】
【注3 一切の執着を離れた境地】
【注4 禅語「不思善悪」 善悪を超越した境地内に住する事】