翻刻
朱簾(しゆれん)を画(えかい)て雲上(うんしよう)にちかしちん金(きんぼり)の机(つくへ)に。義(ぎ)
之(し)の黒帖(ぼくてう)をちらし。湖月万葉(こげつまんやう)のそうしを並(ならべ)
異香(いきやう)四方にくんじて大尽(だいじん)の紙花こゝにつき。
竜(たつ)のくひなる玉。つばくらめの子やす貝(がい)も。
こゝに持(もち)来るべしと思ふばかり座敷の真中(まんなか)
に銀(ぎん)しよくをてらし。朱蒔絵(しゆまきゑ)のたばこぼん。さん
ぼうの盃台。かけばんなをしてある
《箱:しあん》家名は松をもつてし。紋所は柏(かしは)をもつてし。床(とこ)
柱(ばしら)は栗(くり)をもつてす《箱:喜の》サアむづかしい事をいだした。此からかみはだが
書た《箱:玉夕》弁州(べんしう)さんがおかきなんしたよ《箱:ゑん》もふとまりはしれた
から。大のみにするがいゝ《割書:此うち廻し方盃てうし持来り。らうそくのしんを切て行所|お定りの通。なかい吸物持来る。茶やの女てうちんをけし。はき》
《割書:ものと一所にらうかへをく|喜の介にあがるふりそで》《箱:夏浜》政さんよしなんし いつつつてはし子へ札をはら
せんすにへゝ引《割書:トいきをきつて| かけ来る》《箱:しあん》休日の湯屋を見るやうにでへ
ぶはしやぐの《箱:喜の》そんなにたわいだら又。やりてがみせ三味線の
一といふ声(こへ)で。りくつをいをふが《箱:夏浜》それでもからかいんさアナ
ゑんさんよくお出なんしたね。お雪どんとふした《割書:ト茶やの女のかたへとりつゝ|跡よりしあんにあがるふりそで》
現代語訳
朱簾を画いて雲上に近し。沈金の机に、王羲之の墨帖を散らし、湖月・万葉の草紙を並べ、異香四方に薫じて、大尽の紙花ここに尽き、竜の喰いなる玉、燕の子安貝も、ここに持ち来るべしと思うばかり。座敷の真ん中に銀燭を照らし、朱蒔絵の煙草盆、三方の杯台、掛け盤なおしてある。
(思案)「家名は松をもってし、紋所は柏をもってし、床柱は栗をもってす。」
(喜之助)「さあ、難しいことを言い出した。これは誰が書いたんだ?」
(玉夕)「弁州さんがお書きなんしたよ。」
(縁)「もう泊まりは知れたから、大飲みにするがよい。」
——この間、廻し方が杯と銚子を持ってきて、蝋燭の芯を切って行くのはお定まりの通り。仲居が吸い物を持ってくる。茶屋の女が提灯を消し、履き物と一緒に廊下へ置く——
——喜之助に上がる振り袖——
(夏浜)「政さん、よしなんし! 一つ一つ箸子へ札を払わせんすに、へへ——。」
——と息を切って駆けてくる——
(思案)「休日の湯屋を見るように、大分はしゃぐの。」
(喜之助)「そんなに騒いだら、また遣り手が『見世三味線の一』という声で理屈を言おうが。」
(夏浜)「それでも、からかいんさあ。ナ、縁さん、よくお出なんしたね。お雪どんはどうした?」
——と茶屋の女の方へ取りつきながら——
——後より思案に上がる振り袖——