翻刻
【右丁】
尤奉公取続候者証文可相改事
壬申十月二日 大政官
今般運輸便利之為中牛馬会社【注】
取立候ニ付而は明和度已来旧幕府ニ而
裁件相成候規則其外中牛馬士仲間
組合ヲ立置候義等総而相廃し来ル
十一月朔日ゟ信濃国管内一般中牛馬
取持之者当分別紙表面之通賃銭
【左丁】
請取諸荷運送可為勝手次第事
中牛馬は別紙区分之通松本町倉科
七郎宅外七ケ所ニおゐて鑑札相渡候筈ニ
候条来月晦日迄ニ同所へ罷出可請之事
但爾後諸荷物宿ニ附通し候共
口銭等一切差出不及候事
右之外会社規則等始巨細之義ハ不可相達
候而違背無之様可相心得此旨相達候事
【注 江戸時代初期ごろより信濃地方で農民が自己の物品(米・薪等)を城下町などに運んで売ることが行われ手馬(てうま)と呼ばれていたが、次第に専業化しその帰途、生活必需品の塩・魚・綿などを買い付けて戻るようになり、元禄年間には中馬(ちゅうま)と呼ばれるようになった。明治初年、中馬稼ぎの者が、岡船の牛方を加えて「中牛馬(ちゅうぎゅうば)会社を組織した運輸会社のこと。】